news
急遽開催決定!中川正子ポートフォリオレビュー
今週末、中川正子さんのポートフォリオレビューやります!
写真を撮っている方、必見です。
自分で撮影した作品をお持ちいただき、写真家の中川正子さんからアドバイスをもらったり、参加者同士で意見交換をしたりする会を開催します。中川さんの他の参加者の方へのアドバイスも聞けるので、きっと刺激的な会になるはず。
といっても、肩肘張らない楽しい会にする予定です。ぜひぜひお気軽にご参加ください!
[日時]
①5月13日(土)16:30〜18:00
②5月14日(日)16:30〜18:00
[参加費] 一人 3,000円
[定員]各回 5名
*お持ちいただく作品の点数に上限はありません。(多い方が良いです)
*データではなく、印刷した状態でご持参ください。
▶︎参加申込はこちら
BOOK|中川正子写真集「ダレオド」
中川正子写真集「ダレオド」
DAREODO Masako Nakagawa
この度、写真家・中川正子の待望の新作写真集『ダレオド』を刊行いたします。
『BOOK MARÜTE』が立ち上げた出版レーベル『Pilgrim』による初の写真集です。
2016年11月に、写真集の完成に先駆けて高松で開催した写真展には、全国から連日多くの方がつめかけました。彼女の写真と言葉がもたらす影響力は底知れず、いまを生きる人々に様々な気づきをもたらし、大きな共感を呼んでいます。
自身の出産と大震災という体験を経て、目に映る世界を切り取った写真集『新世界』、岡山で暮らすようになって出会ったひとびとの景色を紡いだ『IMMIGRANTS』。
その先に生まれた本作『ダレオド』の中に写されているのは、日々の中にたしかに存在する、さまざまな光です。まばゆい光、おだやかな光、そして、濃い闇の中に、ひっそりと確かに存在する光。
これは、広く混沌とした世界から、中川がみずからの意思で選びとった、小さくも美しい光、そして光に類するものを集めた写真集です。
「誰もみていないみたいに、踊って」
あるとき見つけたこの言葉から、中川はひとつのイメージを育ててきました。それは、のびやかに生き生きと踊り、歌い、愛し、生きる人の姿。中川にとって、いつしかこの無心に「踊る」姿は、ある象徴として存在するようになりました。世界で何が起ころうとも、大きな力が押し寄せようとも、それらがつけ入る隙もないほどに、目の前にある確かな光に意識を集めそれを手放さない。そんな生き方の、象徴として。写真集の中には、日々にこぼれる光とともに、踊る人の姿が写し出されています。
写真家の中川が踊るように生きるために選んだ手段は、シャッターを切ることでした。そうして集めた光のひとつひとつは、はかなく微弱かもしれません。しかしそれぞれが集めた光の束はいつか世界を明るく照らして行く、という強い祈りにも似た願い、そして誓いが「ダレオド」という4文字の言葉に集約されています。
「これは、ひとことで言うならわたしの平和活動です。」と中川は言います。
本作は、抗えないと思えるような強大な力への「抵抗」ではなく、中川なりの「宣言」です。
今回、これらの繊細な光の表現、そして闇の表情をあますところなく再現することに成功し、深みのある美しい1冊が完成しました。
写真にただよう空気や熱、込められた願いを感じながら、ぜひ1ページずつじっくりとお楽しみいただければ幸いです。
STATEMENT
「誰も見ていないみたいに、踊って」
どこかの牧師が書いたそんな言葉を以前、アメリカのスーパーで見かけた。
その一文は心のどこかにすっと、静かに沈み、美しい景色となってずっと、わたしの中に存在しました。夢中で踊る誰かの姿とともに、いつしか、「踊る」という動詞は、わたしにとって、生き生きと生きることの、象徴になりました。
わたしは、ひかりを集めたい。
戦い争い傷つけ合うこと。不安や恐怖や絶望。
それらに抗う代わりに、わたしはひかりを粛々と集めたい。
わたしの、あなたの、彼らの、生きる日々にこぼれる、ひかり。
はかなく、強く、おだやかに、鋭く。
それらを余すところなく拾い、積み上げることは、わたしにとって、強い祈りのようなものです。歌が作れないから、歌の代わりに。踊るみたいに。
拾い集めたひかりの粒はやがて、わたしの手を遠く離れ、それぞれが呼応し合って、明るさを増してゆく。ひかりに包まれたひとびとは、抱き合って許し合い、恐れは消えてゆく。そこは、助け合い、分け合い、愛し合うひとびとの世界。そこからもう、焦点を離さない。そう、決めました。
ね、誰も見てないみたいに、踊って。
—
“Dance like nobody’s watching.”
I spotted those words, penned by a pastor somewhere, in an American supermarket.
They wormed their way quietly into my heart, forming a beautiful scene that stayed with me. At some point, along with the sight of someone wholly immersed in dancing, for me the verb “to dance” became a symbol of living life to the fullest.
I want to collect light.
Battling, fighting, wounding each other. Uncertainty, fear, disappointment.
I’d rather silently collect light than resist them all.
The light that spills onto the days I, you, they, live.
Ephemerally, powerfully, gently, sharply.
Picking up every example of that light, adding it to the never-ending pile, is for me akin to saying a powerful prayer. Like song, because I can’t write songs. Like dancing.
Those particles of light I’ve scooped up eventually make their way far out of my hands, calling to each other to increase the brightness. People wreathed in light embrace each other, forgive each other, and fear disappears. This is a world of people helping each other, sharing with each other, loving each other. I’ve decided never to shift my focus from that.
So go ahead, dance like nobody’s watching.
ABOUT BOOK
2017年4月3日 初版第一刷発行
著者|中川正子
発行|Pilgrim
3,900 JPY
216mm×302mm
64ページ
アートディレクション|佐藤孝好(オギャー)
デザイン|廣瀬豊(オギャー)
プリンティングディレクター|熊倉桂三(山田写真製版所)
印刷・製本|株式会社 山田写真製版所
寄稿|安東嵩史
和文英訳|パメラ・ミキ・アソシエイツ
—
DAREODO
First edition, first printing April 3, 2017
Author|Masako Nakagawa
Publisher|Tetsuya Ogasawara
Published by Pilgrim
Art direction|Takayoshi Sato (Ogya)
Design|Yutaka Hirose (Ogya)
Printing direction|Keizo Kumakura (Yamada Photo Process)
Printed and bound by Yamada Photo Process Co., Ltd.
Contributing editor|Takafumi Ando
English translation|Pamela Miki Associates
PROFILE
中川正子 (なかがわ・まさこ)
1973年横浜生まれ。1995年、津田塾大学英文学科在学中にCalifornia state university, Haywardに留学。写真と出会う。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々のスライス、美しいランドスケープを得意とする。写真展を定期的に行い、雑誌、広告 、アーティスト写真、書籍など多ジャンルで活動中。
2011年3月に岡山に拠点を移す。現在、東京と岡山を往復する日々。自身の出産と震災後の世界を描いた写真集「新世界」(PLANCTON刊)は全国6カ所で巡回をし好評を得た。最新の写真集として、東日本大震災の後に岡山へ移住した人々の暮らしをモチーフにした物語『IMMIGRANTS』を発表。他に「旅の響き」(宮沢和史氏と共著、 河出書房新社刊)、「通学路」(PLANCTON刊)、2017年4月最新写真集「ダレオド」(Pilgrim刊)。
BUY
BOOK MARUTE店頭、もしくはオンラインショップにてご購入いただけます。
「ダレオド」について、編集者の安東嵩史氏に寄稿いただきました。
見えない光、それを見ること ー 中川正子『ダレオド』に寄せて
見えない光、それを見ること——中川正子『ダレオド』によせて
中川正子の新作『ダレオド』は、とても“わかりづらい”。
本作の収録写真を見て最初に感じたのは、全体を通して「過去2作とはまったく違う」ということだ。 一見して象徴的なのは、本人のステイトメントにある「誰も見てないみたいに、踊って」を表象するようなダンサーの姿を収めた一連のカット。本作品集のために、意図して撮られたものだという。
これまで日々撮った写真を後からまとめるというやり方で作品集を作ってきた中川が、今回初めて、「何かを表現するために、撮った」。それは作家としての中川正子が次なる段階へと進もうとしている証左であり、何より、そこに確固とした“伝えるべきこと”があることの表れに他ならない。
前2作『新世界』『IMMIGRANTS』に共通して写し出されていたのは、「確かさ」だった。出産や震災を経てこの世界の美しさに改めて開眼した驚きと喜び、そして新しい場所で日々を築いていく人々への敬意や、彼ら自身の意思。中川自身がある意味「これが、これからの、よいものなのだ」という確信のもとに切り取ったものを、善なるものとして提示する。それはとても美しく、明快に、中川自身の現在地を示したものになっていた。
しかし、『ダレオド』に写し出されているものはすべて、ひとつのかたちにとどまるということを知らず、刻々と移ろい、変わっていくものばかり。炎、水、そして木々や都市の風景に至るまで、そのすべてが「動」的であるとでも言おうか。いずれも“途中”の貌をして、その刹那だけ、そのかたちで目の前にある。このままでいいのか、今いるのはどのあたりなのか、“正解”は一つも用意されていない。
一見同じ水を写していても、そこに留まりながら光を湛えていた『IMMIGRNTS』の水と、これからどこかに流れてゆきそうな『ダレオド』の水は違う。そして人もまた、そうだ。
善なるものはわかりやすく美しいが、ときに一分の隙もなく正しすぎることがある。
「正しさ」の誘惑は実に甘美なものだ。自分がそちらの側に立っていると思うだけで世界から承認され、保証されたような気分になれる。自分だけでそう感じている分にはいいが、次第に人はおせっかいにも他者をもその正しさの中に押し込め、世界をひとつの形に統合しようとしてしまう。いびつな者はいないか、はみ出し者はいないか、常に目を光らせ、それらを「正常化」しようとする。
なぜなら、そのほうが“わかりやすい”からだ。そして、それは例え善意が根底にあったとしても容易に他者への非寛容につながり得るものだということを、人は忘れる。眩しい光に目がくらみ、そこに照らされないものもあるのだということを、忘れる。
己にとっての“わかりやすさ”で世界を切り分けることの乱暴さを、中川はその歩みの中で、常々どこかで感じていたはずだ。震災を経ていよいよ二極に分化し、ゼロか1かで自己や他者の立ち位置を設定して安心したり、声高に何かを叫ぶ事によって他者を「動員」しようとする動きが顕在化してきた世の中に対する違和感をさまざまな場所で事あるごとに控えめながら表明していたことにも、それは表れている。
しかし、これまでの作品中において、中川はそれをあえて己のうちに閉じ込め、外なる光の眩しさ、美しさを切り取ってきた。 それはある意味、光というものへの身の処し方を決めかねていたからだとも言える。他者が発する確かな光に驚き、感動しながらそれを記録し、その感情を写真に変えて世の中へと放ちながら、どこかで「自分はどうするのか」を考え続けていた。それは中川の、自分の肌感覚をできるだけごまかさずに細かく細かく検証していく誠実さゆえの手さばきであったとも言える。
しかし、この『ダレオド』で、中川はようやく腹を括った。
「わたしは、ひかりを集めたい。戦い争い傷つけ合うこと。不安や恐怖や絶望。それらに抗うかわりに、わたしはひかりを粛々と集めたい。」
これは、決して「自分の見たいものだけを見る」ということではない。 不安を裏返すように己の善に固執し、それをYESと言いたいがために他者にNOを突きつけようとする心から自由になるということだ。
ゼロと1の間には何もないようで、本当は0.1も0.8も0.1478も存在する。誰かが何かを選んだ、その決断に至る途中には、あらゆる葛藤や努力、喜びや悲しみなど、語られない人間のすべてがある。描かれなかった絵、伝わらなかった言葉、あきらめた夢、そうした見えざるものたちが、人を、そして世界を形作っている。 路傍に転がるそういった「見えない光」とでもいうべきものをひとつひとつ、丹念にすくい上げていくこと。大きな声や強い光にかき消されがちなもののことを、忘れないこと。それが自分のやり方であると、決めたのだろう。
それは、ある意味とても勇気のいることだ。人は自分の尺度で他者を切り分けて安心する生き物である以上、その物差しを放棄することは己の立ち位置を見失いかねない行為であるとも言える。だが、そうやって世界や人を測ることが対象に対する本質的な理解を妨げるとしたら、それは表現者としての自分にとっての枷でしかない。それを本能的に悟ったからこそ、中川はこの『ダレオド』で、静かに、そしてときに激しく、流転するものたちを主題に選んだのではないだろうか。
変わらずにいようとどれほど抗ったとしても、己ですらあずかり知らぬところで、人は刻々と変わっていく。すなわち、人生は自分自身ですら完全にコントロール、または所有することなどできはしない。だからこそ、人は本来、その存在そのものにおいて自由なのだ。誰ひとり、あなたに何かを強制することなどできはしない。
それが例えあなた自身だったとしても。 写真家としての中川正子もまた、これからいかようにも変わり続けていくのだろう。善も悪も光も闇もないまぜになったこの世界に身ひとつで飛び込みながら、自分でも想像のつかない明日の自分に向かって手を差し伸べ、常にあたらしく生まれ続けること——それを受け入れたものにのみ、世界の複雑系が微笑むことを信じて。
その希望と、わずかな畏れを湛えて『ダレオド』はある。
安東嵩史
Invisible light, and seeing that light On Masako Nakagawa’s DAREODO
Masako Nakagawa’s new book, DAREODO is very “hard to understand”.
The first thing one notes, looking at the photos compiled in DAREODO, is how totally different it is throughout from her previous two efforts.
At a glance, symbolic of this are the shots capturing dancers, seemingly representing the “dance like nobody’s watching” of Nakagawa’s statement. She says they were intentionally taken for this book.
To date, Nakagawa has put together collections of her work by assembling, post facto, photos taken on a day-to-day basis. But with DAREODO, for the first time she has “taken photos in order to express something” – evidence that Masako Nakagawa is attempting to progress to the next stage as an artist – and above all, an unequivocal indication that she has, without a doubt, something to communicate.
What the photos in both her previous efforts, new world and IMMIGRANTS offered, was “reliability.” The amazement and joy of opening one’s eyes anew to the beauty of this world via the likes of birth, and quake disaster; admiration for people building a new day-to-day existence in a new location; the thoughts of these people. Here, Nakagawa took what she extracted based on her own belief, in a sense, that “this is what is going to be good from now on” and presented it as virtuous. All very attractive, and showing clearly where Nakagawa herself was at.
In DAREODO however, all is in a state of flux from moment to moment, refusing to be confined to a single shape. From flames and water to trees and urban landscapes, all could be described, one supposes, as “dynamic.” All possess a “partway” visage, revealing themselves to us in the form they possess just at that particular juncture. Will this do? Whereabouts are we now? No “right answers” are provided.
Though at first glance both show water, the water of IMMIGRANTS, pooled and brimming with light, and that of DAREODO, seemingly about to flow off somewhere, differ. The same may be said for the people.
Things virtuous and good are easy to understand, and beautiful, yet occasionally, just a shade too perfect, too right.
“Rightness” can be sweetly seductive. Just considering oneself on the side of right is to feel acknowledged and validated by the world. All well and good when we are alone in feeling that way, but gradually people begin to interfere, pushing others too into that rightness, in an effort to integrate the world in a single form: constantly alert to anyone who is irregular, who stands out from the crowd, and trying to render them “normal.” Why? Because this is “easier to understand.” And people forget that even if well-intentioned, this can soon turn to intolerance toward others. Blinded by the dazzling light, we forget there are also things that remain unilluminated by that light.
Along her journey, Nakagawa must have constantly sensed, somewhere, the violence of dividing up the world according to what one personally finds easy to understand. This can also be seen in the way she was declaring anywhere and everywhere and at every opportunity – albeit in understated fashion – her discomfort at a world that finally polarized following the earthquake and tsunami of 2011, in which positioning the self and other in binary fashion, as zero or one, is reassuring, and there is an increasingly obvious trend to “mobilize” others by shouting something at them.
In her work to date however, Nakagawa has deliberately shut this away within the self, choosing instead to capture the radiance and beauty of the light outside.
One could say that in a sense, this was because she had not yet worked out how she wanted to handle the thing we call light. Astounded and moved by the reliable light emitted by others, she recorded it, turning that emotion into photographs and offering them to the world, while somewhere, continuing to wonder what she herself was to do. This could be a way of handling what comes down to Nakagawa’s sincerity in verifying, in great detail, and where possible without deception, her own sense of touch.
But with DAREODO, Nakagawa at last girded her loins for action.
“I want to collect light. Battling, fighting, wounding each other. Uncertainty, fear, disappointment: instead of resisting them, I would prefer to silently collect light.”
This certainly does not mean only seeing what she wants to see.
It means adhering to one’s own virtue, as if to turn the uncertainty around, and freeing that from the desire to thrust NO at others out of a desire to say YES.
There may appear to be nothing between zero and one, but the truth is that 0.1 and 0.8 and 0.1478 also exist. When a person chooses something, the process of reaching that decision involves many sorts of conflict and effort, joy and sadness: all the human things not spoken of. Pictures not painted, words that did not get their message through, dreams abandoned: these unseen things shape people, and the world. Assiduously scooping up, one by one, examples of what we might call such “invisible light” fallen by the wayside; not forgetting those things that tend to be drowned out by louder voices and stronger lights: Nakagawa seems to have decided that this will be her approach.
In a sense, this takes great courage. As long as human beings are creatures that feel safest dividing up others according to their own measurements, the act of discarding that ruler can harbor the danger of losing sight of one’s own position. Yet if gauging the world and people in that way hinders an essential understanding of the object, it can only serve to shackle the self as an artist. Perhaps it is precisely because she has instinctively realized this that with DAREODO, Nakagawa has chosen for her theme things that are continually changing, quietly, and from time to time, intensely.
No matter how much they might resist change, people are, from moment to moment, changing in ways that even they themselves have nothing to do with. That is to say, our lives can never be totally controlled or owned by us. Which is exactly why people are, by rights, free in their very existence. No individual can force you to do anything, even if that individual is you.
In what ways will Masako Nakagawa as a photographer continue to change? Plunging headfirst, solo, into this world blending good and bad and light and dark, extending a hand to a self of tomorrow even she herself cannot imagine, being continually reborn, and believing that the complex systems of the world smile only on those who accept that.
DAREODO brims with this hope, and a little unease, tinged with awe.
NEWS|中川正子写真集「ダレオド」先行予約開始!
※限定数が完売したため、オリジナルプリント付写真集の販売は終了いたしました。
ご予約いただいた皆さま、本当にありがとうございます。
良い写真集となるように、現在鋭意制作中です。ぜひご期待ください。
引き続きご予約はオンラインストアより受け付けております。
—
来春に刊行予定の、中川正子写真集「ダレオド」。写真集の先行予約を開始しました!
先行予約いただいた方への特典として、先着300部限定で、オリジナルプリントをプレゼントいたします。
オリジナルプリントの柄は下記の2種類(AB)、各150部ご用意しています。(サイン、エディションナンバー入り)また、できあがった写真集には、中川正子さんからのメッセージも同封します。さらに、BOOK MARUTE店頭でご予約された方のみ、その場でオリジナルポスターもプレゼントします!ぜひお見逃しのないよう、この機会にご予約ください。
A (完売しました)
B(完売しました)
・特典のお渡しについて
店頭予約の場合にはその場で、WEB予約の方には郵送で(ご予約後2週間以内に)お届けいたします。
・ご予約方法
BOOK MARÜTE店頭、もしくは本ウェブサイトから、お好きな柄のプリントを選んでご予約ください。(特典のオリジナルプリントは各150部のみプリントしていますので、タイミングによりご希望の柄をお渡しできない場合もございます。あらかじめご了承ください。)
・写真集のお渡しについて
完成後、郵送(送料360円)もしくは店頭受け取りにてお届けいたします。(WEB予約の方は郵送のみとなります。)
▶︎WEB予約はこちら! おかげさまで完売しました
編集者・安東嵩史さんが、『ダレオド』について中川正子さんに取材し、文章を書いてくださっています。
合わせてぜひ、ご覧ください。
見えない光、それを見ること——中川正子『ダレオド』によせて
発売:2017年 春(予定)
価格:3,900円(税別)
お問い合わせ
BOOK MARÜTE
ADD 香川県高松市北浜町3-2 北浜アリー2F(カフェumie隣)
TEL 090-1322-5834
WEB http://book-marute.com
2016年11月1日〜13日、MARUTE GALLERYにて、写真集に先駆けた同名の写真展を開催しました。
STATEMENT|
「誰も見ていないみたいに、踊って」
どこかの牧師が書いたそんな言葉を以前、アメリカのスーパーで見かけた。その一文は心のどこかにすっと、静かに沈み、美しい景色となってずっと、わたしの中に存在しました。夢中で踊る誰かの姿とともに、いつしか、「踊る」という動詞は、わたしにとって、生き生きと生きることの、象徴になりました。
わたしは、ひかりを集めたい。戦い争い傷つけ合うこと。不安や恐怖や絶望。それらに抗うかわりに、わたしはひかりを粛々と集めたい。わたしの、あなたの、彼らの、生きる日々にこぼれる、ひかり。はかなく、強く、おだやかに、鋭く。それらを余すところなく拾い、積み上げることは、わたしにとって、強い祈りのようなものです。歌が作れないから、歌の代わりに。踊るみたいに。
拾い集めたひかりの粒はやがて、わたしの手を遠く離れ、それぞれが呼応し合って、明るさを増してゆく。ひかりに包まれたひとびとは、抱き合って許し合い、恐れは消えてゆく。そこは、助け合い、分け合い、愛し合うひとびとの世界。そこからもう、焦点を離さない。そう、決めました。
ね、誰もみてないみたいに、踊って。
中川 正子
EXHIBITION|
中川正子写真展「ダレオド」
[会期]2016.11.1(tue)-11.13(sun)※水曜定休
[時間]平日 13:00-20:00 / 土日祝 11:00-20:00
[入場料]無料
EVENT|
中川正子写真集「ダレオド」刊行記念トーク&パーティー
[日時]11.5(sat)19:00〜(受付18:30〜)
[参加費]1,000円(1ドリンク付)
パーティーのみのご参加の場合は、1ドリンクオーダー制 500円
▶︎ご参加のお申込はこちら 終了しました
PROFILE|
中川正子 (なかがわ・まさこ)
1973年横浜生まれ。1995年、津田塾大学英文学科在学中にCalifornia state university, Haywardに留学。写真と出会う。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々のスライス、美しいランドスケープを得意とする。写真展を定期的に行い、雑誌、広告 、アーティスと写真、書籍など多ジャンルで活動中。
2011年3月に岡山に拠点を移す。現在、東京と岡山を往復する日々。自身の出産と震災後の世界を描いた写真集「新世界」(PLANCTON刊)は全国6カ所で巡回をし好評を得た。最新の写真集として、東日本大震災の後に岡山へ移住した人々の暮らしをモチーフにした物語『IMMIGRANTS』を発表。他に「旅の響き」(宮沢和史氏と共著) 河出書房新社刊「ふたりぶんのしあわせ」(カサイミク氏と共著) ピエブックス刊「通学路」(PLANCTON刊)、2017年春、最新写真集「ダレオド」(Pilgrim)刊行予定。
出張9/16-19|THE TOKYO ART BOOK FAIRに出展します
TABF出展します!
9/16(金)〜19(月)THE TOKYO ART BOOK FAIRに出展します。
各作家さんや写真家さんのオフィシャルブースを展開します!
そして、なんと!作家さんや写真家さんも店番をしにきてくれます!
ご来場の際は、ぜひBOOK MARUTEブースにお立ち寄りください。
*現在決まっている店番スケジュール
|9/16(金)|
河内タカ(時々います)
かくたみほ(15:00〜21:00)
|9/17(土)|
河内タカ(時々います)
植本一子(12:00〜夕方)
|9/18(日)|
河内タカ(時々います)
鈴木陽介(15:00〜最終まで)
高橋宗正(14:00〜最終まで)
濱田英明(時々抜けます)
|9/19(月)|
河内タカ(時々います)
高橋宗正(15:00〜最終まで)
かくたみほ(11:00〜19:00)
濱田英明(時々抜けます)
★若木信吾
(浜松市美術館で開催中の若木慎吾写真展のPR兼ねて日程調整中、直前に発表します!)
※なお、高松の店舗も通常営業しています。
9/16(金)からは、「Studio Journal knock」の西山勲さんの写真展「Gosia」がスタートします!
高松へもぜひご来場ください。
NEWS|ゲストハウスがOPENします!
小店でプロデュースしているゲストハウス
book&travel ゲストハウスまどか
が、いよいよ3月にオープンの運びとなりました。
小店から歩いて10分ほどで、高松駅にも港にもアクセスが良いです。 ぜひ、四国の旅の拠点にご活用ください。
book&travel ゲストハウスまどか
〠760-0037 香川県高松市東浜町1-3-17
TEL 080-3922-3896(電話受付 9:00〜22:00)
MAIL info.madoka@gmail.com